OPINION タイタニック号に酷似しているニッポン
       〜未来への展望を 国債で買うことはできない。



もう、政策オプションがない日本
未来への展望を国債で買うことはできない
若年世代から「静かなる暴動」がこっている
 この正月明け、私は久々の連休をとることができました。やらなければならないことがたくさんあったのですが(この文章を書くこともそのひとつでしたが)、なかなかはかどらなかったこともあり、ひさしぶりに映画を観てきました。日米同時上映となった「タイタニック」です。実話ということもあり、上映前からたいへんな話題となっていましたので、ご覧になった方も、いらっしゃるかと思います。

 この作品を観た多くの人々が、その強烈なラブストーリーに涙したようです。もちろん、私も涙腺は弱いほうですが、私が涙したのは、その部分だけではありませんでした。私は、映画のなかのタイタニック号が、どこかの国の現状と重なってしまい、悲しくなってしまったのです。

 タイタニックのような巨大な船は、いったん方向を間違えてしまえば、舵を切るのはやさしいことではありません。タイタニック号の船長は、その道30年のベテランで、その航海を最後に有終の美を飾るはずでした。しかし、そのベテランの「経験」を過信した結果、世紀の不沈船は、まさかの沈没を招いてしまいました。

 タイタニック号は、氷山の警告を受けていながら、何らの対策も講じることなく、時を過ごしました。氷山を目のあたりにしたときには、時すでに遅く、発見から37秒で氷山に追突しています。そして、その2時間半後には、船は完全に沈没してしまいました。死亡者は約1500人(生存者は約700人)。まさに大惨事です。しかし、この惨事は人災でした。豪華客船に多くのボートを搭載するのは見てくれが悪いということで、船には乗客乗員総数の半人数分のボートしか、準備されていなかったのですから・・・

 タイタニック号の姿が、この国の現状と重なってくるのは、わたしの思い過ごしでしょうか。私には「日本丸」もまた同じ状況にあるように思うのです。

 日本丸のような大きな船(国)の場合も、いったん方向を間違えてしまえば、その舵とりはやさしいものではありません。社会の変化に対応するためには、いまこそ、大きく舵を切る必要があるにもかかわらず、まだ船の内部では、ああでもない、こうでもないと、ピントのずれた議論をしています。まことに優雅なことです。「会議はおどる、されど進まず」とは、19世紀のウィーン会議を揶揄した有名な言葉ですが、まさに、その言葉がピッタリだと思います。残念なことに、当時と違うところは、いまの日本には、それほどの余裕はない、ということでしょうか。

 映画「タイタニック」では、沈没寸前まで、一等船室の甲板で優雅に音楽を奏でていたバンドメンバーがいましたが(これも実話だそうですが)、政治家は、バンドメンバーではないはずです。そんな優雅なことをしている場合なのでしょうか。

 このままでは、日本は、間違いなく氷山にぶつかってしまうことでしょう。タイタニック号沈没の時も、助かったのは一部の人です。大多数は、見殺しにされてしまいました。現在の日本でいえば・・・ いま、日本を牛耳っている一部の高齢者層は、安全圏にいるのかもしれません。しかし、あとに残される若年世代は、総額500兆円以上もの鉛(借金)を抱えた「日本丸」という船とともに、なす術もなく、水没させられる(見殺しにされる)のではないでしょうか。



    もう、政策オプションがない日本
 

 日本丸が氷山にぶつかるのは、もう時間の問題であると私は考えています。それは、なによりも、日本がすでに政策オプションのない状況に陥っているからです。

 政治の世界では、新進党が解散し、意味不明の新党が乱立したかと思うと、またもや、数合わせ大会が始まってしまいました。もう、何をやっているのかもわからないような状況です。経済的にも、日本は乱気流にのまれ、先の見えない状況になってしまっています。今年は金融ビックバンの年(改正外為法の施行年)ですが、これまた、「郵政三事業」の論議にみられるように、ピントのずれたような議論が続いてきたように思います。

 もう、過去の栄光は、忘れなければならない時にきていると思います。過去の延長で未来を創っていこうとする人たちの政策では、私たちの未来に明るいものは見えてこないということが、これでハッキリしたような気がしています。 残念なことに、もう、いくつ政党ができようとも、政治の転換(ないし、その質の向上)とは関係がなくなってしまいました。利権団体におもねり、政策の一致しない人たちが集まって野党連合をつくったところで、政治はこれからも、なにも変わらないことでしょう。

 また、いくら対策を打っても、通貨も株価も安定しなくなってしまいました。そこに、ビックバンが起こるのですから、日本の金融機関、もちろん、郵貯・簡保とて、生き残れるわけがありません。それを公社化だの民営化だのと、ピントのズレた議論をしてきたわけですから、「会議は・・・ されど進まず」ではなく、ハナから進める気がなかった、ということなのでしょう。

 要するに、政治的にも、経済的にも、日本は完全に「詰んでしまっている」ということに尽きるわけです(大前研一・UCLA教授の表現)。現在の延長線上には、もう、政策オプションはありません。このままの状態では、現在のタイや韓国のような混乱状態に陥ってしまう可能性があります。


  未来への展望を 国債で買うことはできない。


 そんななかで、いま、「金融秩序維持」「景気対策」と称して、ドサクサ紛れに、未来を生きる世代に、さらに大きなツケを回すような政策が志向されようとしています。これは一言でいうなら「今がよければそれでよい」という政策でしょう。

 私たちは、長い間、意味のないハコモノ投資にみられるような「贅沢」を楽しんできました。そもそも、こうした「贅沢」をいつまでも続けていくことができる、などと思っているほうが、どうかしているのです。

 今の日本の状態は、生命維持装置をつけて、やっと生存している植物人間と何も変わりがありません。これを助けるために、また新たに新規国債を発行するなど、とても正気の沙汰とは思えません。こうした詐欺まがいの手法をとってまで、現状を維持しなければならない理由はないはずです。

 もちろん、なかには「延命治療」の打ち切りを犯罪視する方もいらっしゃることでしょう。郵政改革のときの関係者(官僚・郵政族議員・郵政労組系議員)の抵抗が、並大抵のモノでなかったことは、記憶に新しいところです。
 そうした意見を主張される方は、ハッキリと次のように宣言していただきたい、と思います。「延命治療したいので、申し訳ないが、子どもや孫には犠牲になってもらう」と。

 もはや、生きる望みのないものを助けるために、なぜ、国債を発行する必要があるのでしょう? 景気対策・金融秩序維持がその目的だといいますが・・・ 理念もなく、やみくもに減税や公共投資をしても、全く効果がないことは、すでに、この数年の状況が立証しているところです。

 国債は、若年世代に対する「希望なき未来を約束する手形」です。活力ある未来を創るための原資を、生きる望みのない人たちの延命治療に使わせてはならない、と私は今後も強く主張していきたいと思っています。過去に生み出した損失は、過去に蓄積した財産を整理・活用することで清算するべきなのです(幸いにして、日本には多くの国有財産が眠っているではありませんか!)。


 
  若年世代から「静かなる暴動」が起こっている


 このままの状態では、若年世代は、さらにヤル気をなくし、「静かなる暴動」が拡がっていくと思います。実際に、若年世代の「静かなる暴動」は、すでに大きな問題になってきています。出生率の極端な低下、年金不払い者の増加、海外逃避の増加、公徳心の欠如、政治的無関心などなど・・・ これらは、みな、社会の基盤を揺るがすような「静かなる暴動」なのではないのでしょうか。

 団塊の世代(全共闘世代)が、「過激なる暴動」に明け暮れていたように、今の若年世代は「静かなる暴動」を起こしているといえましょう。それを単にモラルの低下だと片づけてしまっては、解決策は見えてこないのではないでしょうか。それを解決するには、希望ある未来への道筋を創り出すしかないと私は思うのです。

 希望のもてる未来をつくるために・・・ 私たちは、まず、借金のツケ回しをめさせなくてはならない、私はそう確信しています。未来に希望がもてなくて、どうして、子どもを産めましょうか? 未来に希望がもてなくて、どうして、年金を払いましょうか? 未来に希望がもてなくて、どうして、公徳心を維持することができましょうか?

 昨年12月(編集者注:1997年12月)、国立社会保障・人口問題研究所の少子化問題セミナーがありました。その場でキャサリン・キヤナン氏(イギリス・ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス助教授)は、「結婚も同棲もしない単身者の増加は日本独特の現象で、ミステリーだ」と指摘されています。ミステリーという言葉のもつ強烈な意味合いに、会場は、しんとなったようですが、あまりに激しく起こっている、この「静かなる暴動」について、私たちは軽く視すぎているのではないでしょうか。
  未来の政治を いま、救おう。
当然、私は、12月中旬以降(編集者注・1997年)、立て続けに出されてきた政策案(金融危機対策、景気対策、新年度予算・大蔵原案)のいずれにも、賛成することはできません。また、野党各党の主張しているような、理念のない大型減税提案などにも、賛成することはできません(やみくもな減税や公共事業投資が、まったく効果を出さないことは、すでにこの数年の状況が立証しているところです)。

 1.金融対策は、スウェーデン方式+銀行業への新規参入の促進で、

 2.景気対策は、経済的規制の撤廃+不公正税制の改善(税制ビックバン)で

 3.財政再建は、歳出削減+国有財産の活用で、

 それぞれ対策を打つべきなのです。生活水準の低下を防ぐだけのために、希望なき未来を導くような政策を選択することには賛成できません。このままでは年金も福祉も制度的に破綻し、未来の生活水準は、現在より低くなるいっぽうでしょう。そうであるならば、現在のエスタブリッシュメント(支配者層)に、これ以上、甘い汁をすすらせておく必要はありません。

 たしかに、現在のやり方に慣れてきた多くの人たちにとって、政策の転換は、どうしても痛みを伴います。しかし、抜本的な転換を引き延ばせば、矛盾が拡大し、将来、より大きな苦痛と犠牲を生み出してしまうものです。政治家のみなさんには、有権者ウケを狙った政策ではなく、百年の計を考えた政策を実施していただきたいと願うばかりです。