杉並区議会議員(無所属) 堀部やすし 2003/4
・・・既成政党やドブ板政治家たちは、こうした状況を認識することもなく、相も変わらず我田引水ばかりしている。ここからわかることは、最初から、既成政党や圧力団体、地縁や血縁・親の七光りに頼って活動しているようでは、公正な政治などできるわけがないということである。だから、私は一身独立して活動する。そして、有権者の良識を信じ、本音で正論を語っていく・・・ こう訴えて、堀部やすしは、1999年の杉並区議選に初当選しました。それに先だって堀部やすしの初心を著した1999年当時の挑戦文を改めて掲載します。 |
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● “猿の惑星” | ||
宇宙に旅立って一年半。宇宙飛行士テイラーの乗った宇宙船は、時空を超えて、ある星に不時着する。 なんと、そこは「人間」の言葉を話す「猿」が支配する惑星だった。そこでは多くの「人間」が「猿」に狩られていた。当然、野良人間のテイラーも「猿」に捕らえられてしまう・・・ 映画“猿の惑星”のひとコマである(1968年初公開。第5作まで続々とヒット)。後にわかることだが、この“猿の惑星”とは、西暦3955年の地球のことである。 そこで生き残っていた「人間」は、地下の禁断地帯にひっそりと生きることを余儀なくされていた。しかも、「人間」は核戦争の影響でグロテスクな姿に変異してしまい、核爆弾を全能の神とあがめるようになっていた。 食糧確保のため、領地拡大をめざす「猿」は、「人間」との紛争を解決できず、ついに「人間」の発明した核爆弾によって、地球は滅びてしまう・・・これが“猿の惑星”となってしまった地球の結末である。 初公開から30年。現在、シュワルツェネッガー主演のリメイク企画が進行中とのことである。 (注:その後2001年に公開された。) |
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● “猿の惑星”という現実 |
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ところで、この「猿」と「人間」の対立は、「猿」が「人間」の奴隷として酷使される現実に疑問を感じるところから始まっている。 地球社会は、「人間」だけのものではない。しかし、現実には「人間」だけが優位に立ち、他に犠牲を強いる社会になってしまっている。映画では、この不公正に怒りを覚えた「猿」が、1990年に他の「猿」たちを組織し、反乱を起こすのである。 すでに「猿」に支配される未来を予知していた「人間」は、自分たちに都合がいいように「猿」を徹底的に抑圧し、完璧に管理していた。 それでも「人間」は、それを抑えられなかったばかりでなく、最終的には、それが原因で、地球社会は滅亡してしまうのである。ただ規制を強化するだけで社会を維持しようとするのは、いつの世も無意味なことなのかもしれない。 さて、現実の1990年といえば、バブルも盛りを過ぎようかという頃である。現実にはもう終わってしまったわけだが、「猿は、まだ何も行動を起こしていないじゃないか」とお笑いの方もいらっしゃることだろう。 でも、よく考えてみてほしい。「人間」を親と読み替えてほしい。「猿」を子どもと読み替えてほしい(自然環境と読み替えてもいいだろう)。さらに「核爆弾」をバブル、経済的な豊かさ、モノ、カネとも読み替えてほしい。少しは思い当たらないだろうか・・・ |
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● 「サルにもわかる政治」の時代 |
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いうまでもなく、政治は、現状を良くしたいという有権者が、社会に直接影響を与えることができる貴重な手段である。しかし、残念ながら、ここが日本最大のガンになってしまっている。 議会はオール与党となり、政党や政治家は、カネと組織を提供する圧力団体に逆らうことができず、すっかり骨抜きになってしまった。 最近では、驚くことに入閣した大臣の半数までが2世議員となり、その一方で、ただ有名なだけの芸能人やスポーツ選手が大挙として政界に進出するようにもなった。 その影響か、「これだったら私にもできる」と思った妙な政治オタクが、あちらこちらから現れ、「サルにもわかる政治」の時代が到来した。 もちろん、それ自体だけでは、悪いとはいえない。ただ、間違いなく言えることは、政治が誰にでもできる仕事のように扱われ、かつ政治が人々に全く尊敬されない仕事になってしまったということである。 尊敬されない仕事にまともな人材が集まらないのは当然のことだ。いまや、まともな感覚を持つ者は、政治に見向きもしなくなった。 政治に熱心なのは、依頼心の強い人たちばかりとなり、彼らが日本の富を食いつぶしてきた結果、日本は国と地方あわせて600兆円(一人あたり約500万円)もの負債にあえぐ借金大国となってしまったのだ。この借金は、もし「国債オリンピック」があれば、堂々の金メダルを受賞する水準だ。(注:2003年現在では700兆円に及んでいる。当然金メダルである) しかし、このような状況でも「尊敬されない」政治家は、なんとか尊敬されようとして、さらに借金をしてまで効果のない景気対策を実施し、有権者の歓心を買おうとしている。選挙ともなれば、客寄せパンダに芸能人を連れてきて有権者に媚び、パフォーマンスばかりしている。 いつまでこんなオメデタイことをしているのだろうか。 いつしか、重要な「政」(まつりごと)は、ただのバカ騒ぎの「祭事」となってしまい、尊敬されない恥ずかしいものになってしまった。世も末である。 |
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●いま、そこにいる「猿」 |
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忘れてはならないことがある。こうして「恥」をさらし、子どもや孫にツケだけを残して平然としている、そんな大人の背中をみて、今の子どもたちが育っているという事実だ。 そもそも、日本の誇りは「恥」の文化だったはずである。ところが、バブルに酔ってしまった大人たちは、この「恥」の観念を忘れ、すっかり節度をなくしてしまった。 これだけ「恥」をさらしても責任を感じることなく開き直っていられる感覚は、尋常なものではない。 不幸なことに、今の子どもたちは、そんな「恥」知らずな選択をして平然としている大人たちによって育てられてしまったのである。ということは、この子どもたちの多くも、大人と同じように「恥」の観念が理解できないのは当然のことなのだ。 いま、無責任・無関心・無感動・無作法・無気力・無神経という若年世代の「静かなる暴動」は、陰湿な形で表面化しはじめた。 ごくふつうの子が援助交際をし(もちろん買っているのは「恥」知らずのオジサンですよ !)、凶器を振り回したり、毒物混入事件を起こす子どもが異端視されているが、彼らは異端でも何でもない。 「恥」知らずの大人が生み出した当然の成果なのだ。教育改革が重要だというが、その前に改革すべきなのは、バブルでボケてしまった大人の頭のほうだろう。おかげで、子どもたちは、いまや「猿」と化し、地球は「猿の惑星」へと着実にその歩を進めているのだ。 |
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● 大胆な外科手術を!The reform of HEISEI |
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未来を絶望するしかない若年世代は、こうして「猿」となり始めた。いまや、将来有望な若者は、日本に期待せず、外資系企業での活躍や海外への雄飛を望むようになった。 日本に残る「猿」は、出生率の低下や保険料の未納、公徳心の欠如といった形で、今後さらに静かに革命を進行させていくことだろう。 未来に希望が持てないのに、子どもを産むわけがないし、年金だって払うわけがない。こんな夢のない社会に生きる若者のモラルが低下するのは、当たり前のことなのだ。 私たちは反省しなければならない。バブルに酔い、多くの人々が「恥」の観念を忘れ、節度をなくしてしまった。札束があれば、何でもできる(逆には札束がなければ、何もできない)と考えるようになった。 残ったのは、膨大な借金の山と、古くなったインフラ、ガラ空きのハコモノ(建築物)、ぬくもりのないサラ地、ハコ庭のようなゴルフ場、荒らされたハゲ山・・・そんな意味では、いま、国破れても山河は残っていない。 もう、宴は終わったのだ。早く酔いから目覚め、大胆な外科手術をして、新しい挑戦をはじめるべきなのだ。 それは、大前研一UCLA教授の言葉を借りれば、「生活者主権」「道州制の実現」「世界システムとの共生」ということになる(The reform of HEISEI)。それは政治に圧力をかけてくる組織や団体の利益に反するものだが、これを避けて未来を拓くことはできない。 この手術は、麻酔が効かないかもしれないし、相当の痛みを伴うことを覚悟しなければならないが、ただ、幸いなことに、日本人がその痛みに耐えられることは、歴史が証明してくれている。 だから、政治家は有権者の良識を信じ、そろそろバカ騒ぎするだけの祭事をやめて、本来の「政」に励むべきなのだ。 |
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● 「猿の軍団」が暴れる前に。 |
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思い出してほしい。日本は、これまで、敗戦の焼け野原から奇跡的に復興し、世界の誰も予想しなかった成長を実現した。 その過程では、繊維危機、造船危機、エネルギー革命(炭坑閉鎖)、石油危機、民活、円高危機・・・と、何度も厳しい逆境を乗り越えてきたのだ。 私たちは、逆境に強い性質をもっている。オロオロしていないで、もっと自信をもつべきだ。 もちろん、それぞれの時には、社会の混乱や抵抗、反対運動も起こった。それにも理はあったけれども、「恥」を知っていた賢明な日本人は、時代の趨勢を受け入れ、そしてお互い我慢し譲り合って、乗り越えてきたのだ。 目標が定まり、一丸となって新しい挑戦に取り組んだときに発揮する日本人の底力は、本当に素晴らしいものだと思う。 たしかに、つらい時代は長く続くだろう。でも、覚悟を決め、偏狭なプライドさえ捨てれば、この危機は必ず乗り越えられる。日本は、国全体としては、まだ債務超過ではないからだ。 手つかずの公有財産はたくさんある。過去に蓄積した財産を活用すれば、日本は必ずもう一度やり直すことができる。 だが、いつまでもバブルの再来を願って財政赤字を拡大しているようでは、やり直せるものも、やり直せなくなってしまうのだ。 政治家は、ただ無責任に福祉だ、環境だと叫ぶけれど、その福祉や環境を守るためにも、いま、財政再建を急がなくてはならないはずなのだ。 今のままでは、未来に希望をもつことのできない「猿の軍団」が社会の不安定要因となり、財政破綻によって、福祉も環境も守れなくなってしまうにちがいない。私たちは、そろそろ政治家が当選目当てに語る甘い言葉に惑わされないで、そのことをしっかりと認識しておくべきだと思う。 既成政党やドブ板政治家たちは、こうした状況を認識することもなく、相も変わらず我田引水ばかりしている。ここからわかることは、最初から、既成政党や圧力団体、地縁や血縁・親の七光りに頼って活動しているようでは、公正な政治などできるわけがないということである。 だから、私は一身独立して活動する。そして、有権者の良識を信じ、本音で正論を語っていく。みなさんのご意見をお寄せください。 |
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