杉並区議会議員(無所属) 堀部やすし最前線2002-2003
 次期区議選にむけて

 私に与えられた議員の任期も、あとわずかで満了を迎えます。

 公職選挙法は、当選御礼の挨拶を禁止していますので、そうした意味でご挨拶や感謝の意を表したことはありませんでしたが、この間私に貴重な機会を与えてくださったことについては、深く感謝しております。

 長くもあり短くもあった任期でした。とくに、全国的にも話題になった「レジ袋税」をはじめ、激動する政治の現場で実際の審議に参画することができたことは、何にも代えられない経験となりました。

 次も「独立系の無所属」で

 さて、私は次期も独立系の無所属政党・圧力団体・首長と相互支援関係を持たない立場)で立ちます。現在、残り任期中の課題を整理しつつ、次期への抱負や考え方などを取りまとめているところです。

 長い政治の歴史を振り返ってみても、日本や東京、そして杉並のおかれた前途の厳しさは前例のないものです。財政の健全化を第一の命題に、今後も強い決意で活動していきたいと思います。


 最近、次は大丈夫なのかと心配をしてくださる方も増えてきました。本当に耳の痛い話で、言葉もありません。「平常心で望むだけです」と答えることが多いのですが、それは半ば自分に言い聞かせているようなものかもしれません。

 現実を見れば、今回は議員定数も削減となり、私のような独立系の無所属にとって、よりいっそう厳しい情勢となっています。

 議員定数削減の必要性を主張し、賛成したことに些かの迷いもありませんが、こうした削減の影響は、私のような者の当落を直撃することは間違いありません。事実、落選者のほとんどは、独立系の無所属というのは紛れもない事実になっています。

 みなさんのご指摘を受けるまでもなく、その厳しさは、重々承知しています。ただ、いま一度心を引き締め、同じスタイルで挑戦したいと思っています。

 いまは独立して存在することで、議会での議論の活性化に寄与したい

 私が現在独立系の無所属でいることの意味は、三つあります。

 第一には、政治の混乱が深まり、今はどこも入るべき政党がない・・・という意味合いからです。
 第二には、地方自治体のような大統領制の政治形態のもとでは、議会であまりに厳しい党議拘束をかけることが理解できない・・・という意味合いからです。
 第三には、いまだ閉塞感が漂う政治風土が蔓延している中においては、独立して存在することで発言の自由を担保し、議会の議論を活性化していきたい・・・という意味合いからです。

 実際、先進諸国では、日本ほどの厳しい党議拘束はほとんどありません。これは議院内閣制のイギリスですらそうなのであり、日本の政治の硬直化に拍車をかける結果をもたらしています。

 それでも、議会で新条例を次々提案し、議論できる環境にあるのなら、まだいいのです。しかし、実際は硬直化が進み、レジ袋税や自治基本条例(住民投票制度)といったようなメディアが注目するテーマを除いては、そのようなムードはあまり出てこないのが現状なのです(なお、以上の条例も、議会側は多少の修正をしたものの、もとは行政側が提案したもの)。

 このように数による提案権があっても、なかなか条例に結びつかないような重苦しい空気がある以上、残念ながら、いまの現状では、既存の政党・会派・派閥の枠の中で民主化・活性化を進めるのは難しいと言わざるを得ないのです。

 今後、世情の変化によって、議会のムードが変わる可能性は十分にありますが、それまでは自立した個人によって集まる新しい動きに期待するしかないというのが現状です。



 なお、誤解のないように申し上げれば、私は政党政治そのものを否定する者ではありません。とくに国政においては、議院内閣制である以上、政党政治と最小限の党議拘束は否定できないものです。

 しかし、現在の組織・機構・政党は機能不全を起こしており、むしろ変革の足を引っ張る存在になってしまっていると言わざるを得ません。これは、最近の国政の動きなどでも、一目瞭然でしょう。

 朱も交われば・・・なのであり、過渡期においては、個人が見識を高め、行動していくほうが賢明な判断ができる場合が多くなっています。これは、何人かの有能な知事・首長による実践が、すでに証明していることです。

 その意味で、私は、既存の政党やその関連団体が中心とならない形での政界再編に期待しています。実際に知事や首長による新しい動きのなかには、それを可能とさせる力を感じます。

 以上の理由から、現時点では、独立しつつ、政治的成熟にあわせ、個々の政策本位で連携を考えていくことが最善との判断をしているところです。

 2005年 「平成維新憲章」の目標

 かつて政策研究会を開いていたころ、無所属候補を応援しようという活動をしていたころ、大前研一(UCLA教授)が主宰する都議養成科に学び、その流れで何人かの仲間とともに選挙に立候補したころ・・・思えば、当時は少ないとはいえ、同じ夢を抱く仲間がいました。

 しかし、政治の世界の壁は厚いものでした。既存の政党や従来型の組織・団体と一体とならない独立的な動きは、なかなか継続的に実を結ばず、こうした活動は挫折の連続でした。

 たとえば、象徴的な話でいえば、大前さん自身も、数度の失敗を経て、最終的に政治から身を引く結果となっています。

 すでに会としての「平成維新の会」が解散しているのは周知の通りですが、さらに、平成14年は、その後残されていた人材育成の場である政策学校・一新塾の塾長の立場からも身を引くこととなり、残された学校はNPO法人化され、その性格も完全に変わりました。

 また、当時の仲間で都議選に立候補した者のうち、その後に何らかの議員となったり、政治活動をしている者は、ついに私ひとりになってしまいました。

 少なくない方が活動をあきらめたほか、閉塞する一方の政治を見放してしまった方もありました。大前さんの期待を受け、推薦人になって頂いたにもかかわらず、この点で継続した成果を出すことなく活動が尻すぼみになっていったことには、忸怩たる思いがあります。

 私自身も挫折しかかったことがないといえば、それは嘘になります。ただ、理念目標であった「平成維新憲章」は、2005年の実現を目標に定めていたこともあり、せめてそれまでは希望を捨てず、一貫した活動をすることが自分に課せられた責務と思って活動してきました。 (※憲章の内容は、こちらへ)

 幸い、各地で新たに志を持つ方も出てきています。挫折する者もあれば、新たな息吹もあるのが自然の摂理。新たな動きに期待しつつ前向きに活動していきたいですし、いかに前途が厳しくとも、次も理想を高く掲げ、挑戦したいと思っています。

 数百年に一度の転換期。タブーなく議論を

 平成と元号が変わって以降、さまざま起こった草の根からの政治変革の動きは、挫折の連続だったといえます。今後も、既存のシステムや慣習の壁を超えることは、生易しいことではないかもしれません。

 しかし、個人の政治家が、いまのまま「寄らば大樹の陰」でしかないというのなら、そのうち区民から「すべての懸案を住民投票で決めたほうがよほどマシだ」と言われかねないでしょう。本当にそれでよいと考えているのか、議員全員が真剣に考える必要があります。

 私は、少しでも本音で正論を話すことを通じて、「あえて議会制度を維持している意味」を問い直していきたいと思っています。数百年に一度という歴史の転換期ですし、タブーなく議論していきたいものです。

 幸い、潜在的には議会を変えたいと思っている議員は大勢います。改選といった変化を通じて、その動きが加速する土壌は十分にあると信じています。

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