杉並区議会議員(無所属) 堀部やすし最前線 | No.33 |
●特別版● 豊島(てしま) 視察報告 |
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東京都清掃局・杉並中継所周辺の環境問題(いわゆる「杉並病」)は、これまでも報告してきたとおり、深刻さを深めています。過去の公害病は、そのいずれも、行政の対応の遅れが問題を複雑にしてきましたが、近年の大規模公害の例として、瀬戸内に浮かぶ豊島(てしま)で発生した産業廃棄物の不法投棄問題は、見逃せません。 豊島の産廃問題は、中坊公平氏や国松孝次氏などの活躍によって大きく前進しましたが、現在なお、その解決には至っていないところです。行政の対応の遅れが問題を複雑にしてきたという意味では、豊島の事例は、杉並病の今後を考える上で、大いに参考になる部分があると思い、1999年秋、私を含む20代議員2名に女性無所属議員2名という異色の組み合わせで、現地の実状を視察してきました。
香川県小豆郡(しょうずぐん)土庄町(とのしょうちょう)豊島(てしま)。小豆島の西方3.7キロにある豊島は、周囲約19.8キロ、面積14.61キロ。小豆島(土庄港)から豊島(家浦港)まで約1時間。瀬戸内に浮かぶ離島(離島振興法による離島振興対策の実施地域)である。首都圏から移動だけで一日仕事になってしまうといえば、お判りいただけるだろうか。人口減少は激しく、かつて最盛期に4,000人近くいた人口も、現在では1,500人を切っている。また、高齢化率40%という状況は、あまりにも深刻な事態である。 この小さな島で、日本最大の産業廃棄物の不法投棄事件が発生したのは、昭和58年頃に遡る。この事件は、当初、ミミズの養殖やミミズによる土壌改良財化事業・金属回収業として許可を得ていた豊島総合観光開発が、密かに産廃の不法投棄に手を染めたことから発生したものだった。 この業者は、大量の産業廃棄物を野焼きし、そのまま埋め立てていた。野焼きは、ときに山火事と見違えるほど大規模なものだったそうで、遠く離れた高松市からもその光景が見えたという。このため、多くの島民がゼンソクに苦しむこととなった。こうして豊島には短期間のうちに、多くの産業廃棄物が持ち込まれていったのである。 当時、関西の産廃処理費用は、関東の半分以下で済んでいたという。それは、この業者が豊島に野放図に不法投棄することで、ダンピングを可能にしていたからである。このことが被害をさらに深刻にしたといえるだろう。なお、すでに同社の経営者ら3人には有罪判決が出ているが(廃棄物処理法違反)、50万トンにものぼる産業廃棄物は、今も現場に放置されたままとなっている。
不法投棄の現場は遠かった。延々と船に乗り継いで着いた先に、さらに島の最末端までバスで連れて行かれた。不法投棄されていた場所は、島民も近寄らないような僻地である。減量化と無害化をめざした中間処理策がいろいろと検討されているが、現地は想像以上に重苦しい空気が漂っている。現場に行けば、これ以上、この場を放置することが、いかに危険なことであるか、肌が感じとってくれる。言葉はいらないというのは、こういうことを言うのだろう。 いうまでもなく、すでに検出されているダイオキシンも、国内最高レベルにあり、実際に私たちの多くも、目や鼻がおかしくなったり、頭痛が起きたりと、一様に体調が悪くなった。現地では最近健康調査を実施していない(島民もそれを求めていない)というが、そのことの恐ろしさを痛感する。そうでなくとも、島民の死亡原因には肺ガンが多いというし、豊島総合観光開発で働いていた従業員のうちの2名がすでにガンでなくなっているともいうのだが・・・しかし、これ以上、世間に騒がれて地域のイメージが崩れるのは迷惑だと感じる島民は少なくないのである。本音では因果関係を立証したくないという人が少なからず存在しているということだろうか。このあたり、杉並中継所周辺の環境問題(杉並病)と全く同じ構図のようである。 しかし、埋め立てられた大地から発生しているガスは、かなり強烈なものである。排気用の穴に手を入れ、その手を嗅ぐだけでも、頭がくらくらしてくる。いや、冗談ではない。しかも、この手にこびりついた臭いは、なかなか消えてくれないのだ。高濃度のダイオキシンを嗅ぐことを余儀なくされた私たち視察団のうちの2名は20代の未婚男性であるが、わずか数時間の滞在でも将来に一抹の不安を感じてしまうくらい、現地の状況は酷い(ダイオキシンをはじめとした環境ホルモンが人体に与える影響は未知数であるが、とくに生殖機能への悪影響は深刻な問題である)。 ひとたび雨が降れば、ゆるい土壌からは、黒い水が噴き出すという。しかも、海面近くでは、それがそのまま海に流れてしまうこともあるのだという。当日は晴れていたのでハッキリとは判らなかったが、現場(海面沿い)に行ってみると、たしかに、真っ黒な水が溜まっていた。真っ黒な水が溜まってきた時は、海に流れないように汲み上げて、島内に戻しているというのだが、大雨になれば、それが海に流れていても不思議ではなかった。 そうかと思うと、遠洋では、なにやら漁をやっているような光景が目に入ってきた。聴けば、海苔の養殖をやっているのだという。隣に直島(なおしま)という島があり、そこの島民がやっているのだという。ちなみに、豊島の島民のうち、この界隈を魚場としていた漁師さんは廃業を余儀なくされたというが、驚くことに、外部の人間がひっそり魚を取りに来ることがあるのだという。もちろん、これらも、どこかの誰かが口にしていることは間違いないはずである。
この産廃の不法投棄問題について、平成2年より住民が「廃棄物対策・豊島住民会議」を結成し、交渉にあたっている。不法投棄の現場を実際に視察した後に、土庄町や住民会議の担当者の方々より、これまでの経緯について詳細な説明を受けた。 平成5年に豊島住民会議は、公害紛争処理法に基づき、香川県や豊島総合開発、排出事業者などに廃棄物の完全撤去と総額2億1900万円の損害賠償を求める公害調停申請を件に提出した。弁護団の団長は、ご存じ中坊公平氏である。中坊氏ほか13人の弁護団が無償で弁護活動に取り組んだ結果、平成8年12月の判決で住民側の主張は全面的に認められはしたが、今なお、産廃問題の本格的解決には至っていない。
平成9年に豊島住民会議は、豊島の島民の総意として、県に対する損害賠償請求の放棄を宣言したうえで、香川県に明確な謝罪と問題の解決を求めた。香川県は、執拗に「豊島の運動はお金目当ての運動」という批判を浴びせてきたこともあり、それに対抗するには、損害賠償の放棄を宣言するしかなかったというのである。たしかに、賠償にこだわって廃棄物の中間処理や撤去が進まないとなれば、最悪である。最大の願いは、あくまで廃棄物を撤去することであって、県民の税金による損害賠償を求めたばかりに本質的解決が遅れてしまうくらいなら、それは放棄しようという島民の判断は、極めて現実的な判断だったと考える。「ゴミの島」のイメージが定着し、農水産品が売れなくなるなどの被害をはじめとして、厳しい精神的苦痛を味わった多くの島民が、損害賠償を一切求めないという決断は、島民にとっても、本来、苦渋の決断だったはずである。しかしながら、驚くことに、それでも香川県からは、現在なお一切の謝罪がない状態だというのである。住民会議も、試練の時を迎えている。
1999年4月の県議会議員選挙で、勝手連で担ぎ出された豊島出身の候補者が当選した。石井亨さん。香川県に数少ない30代の議員である。わずか1,500人の離島から当選者が出たことすら驚きだが、それが勝手連の無所属候補だったことは、さらに驚きである。 ご本人は、自ら豊島のことを「ムラ社会」と呼ぶのだが、その「ムラ社会」で初めて結成された勝手連で当選することができたのは、まさに快挙であり、時代の変化を感じさせるものである。ムラの名士・県議会議員が、勝手連で担ぎ出された無所属の若手ということは、これまでの離島社会ではあり得ないことだからである。 石井県議の誕生が契機となったわけでもないが、当選直後の平成11年5月に大きな転機が訪れた。最終的に豊島に不法投棄されたままになっている廃棄物を溶解処理することで無害化していくことが決まったのである(隣の直島で処理されるようである。関係者の間では、直島に誕生した新町長の影響と言われているが、産廃処理も一つの利権になってしまうのだ。政治とはムゴイものである)。
実は、豊島の産廃問題は、中坊公平氏らの活躍もさることながら、トップの大英断が事態を動かした側面がある。 平成2年。密かに豊島の現実をつかんだ兵庫県警(なんと香川県警ではない!)は、無許可で自動車破砕くずや廃油を豊島に捨てていたとして、業者関係者を現行犯逮捕した。この地域を管轄しているのは、香川県警のはずである。もちろん、この悪質な業者に許認可を与えていたのも、香川県である。しかし、不法投棄事件について、その事実をつかんでも香川県警は一切動かなかった(当初、兵庫県警は、この事態を香川県警に打診したという。なお、現在に至るまでも、香川県はこの問題について一切の謝罪を行っていない)。許認可を与えた香川県は、その責任を問われるのを恐れたのか、とにかく逃げの一手であったという。兵庫県警の英断がなければ、この問題はいまも闇に葬られたままだったかもしれないのである。 ちなみに、このときの兵庫県警・本部長は、かの国松孝次氏である(後の警察庁長官)。豊島選出の県議会議員とお会いした際に(後述)、県議が、このことに関して、「人によって現状を変えられる、トップ一人の判断ひとつで変えられる好例」と発言されたのは興味深い。杉並病の場合も、中継所を所管している東京都の動きは鈍い。これまでの週間報告でも、お伝えしてきたように、都の姿勢は逃げの一手ともとれる。情報公開も進んでいない。過去の香川県と、あまりにも酷似しているのである。 ご存じのとおり、その後も国松孝次氏はオウム事件などで活躍することになったが、杉並中継所をめぐる環境問題の場合には、こうした決断をすることのできるトップがいないばかりに解決が遠ざかっている。なんと皮肉な対照なのだろうか。「杉並の国松孝次」は、いったい、どのように作り出したらよいのだろうか。
計画では、操業開始後10年で豊島の産廃はすべて撤去されることになるが、事業に着手するのは、まだこれからの課題であり、真の解決には、まだまだ時間がかかりそうである。しかも、香川県知事は、あいかわらず「豊島の中間処理事業は環境保全のためにしているのであり、個別具体的な法的責任に基づいてしているものではない・・・」「豊島の運動はお金目当ての運動」と陰に陽に言い続けているといい、今後も予断を許さない状況だという。ひょっとすると、石井県議ご本人に対する圧力も強いのだろうか。時折みせる苦渋した面持ちと、慎重に慎重に言葉を選ぶ姿からは、よそ者には理解できない問題の根深さを感じさせられた。 損害賠償請求を放棄し、謝罪と原状回復だけを求めた豊島島民の選択が幸と出るかどうかは、わからない。もとの豊島に戻ることが、真の解決ではないという考え方がある。原子力発電所によって基盤整備が進んだ地域が少なくないように、豊島のこの選択が、将来厳しい事態を招かないとも限らないのである。今後、地方自治体は、厳しい財政状況の中で自立を余儀なくされる時代となるが、しかし、「トップ一人の判断で現状は変えられる」ことを証明した豊島の事例は、私たちに大きな教訓を残してくれた。問題は、杉並病において、そうした状況を今後どのようにして作り上げるか、である。 |
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