議案第75号に反対の立場から意見を申し上げます。
本議案は、少子化対策を目的として、小中学生の医療費を完全無料とするものであります。乳幼児医療費の無料に加え、新たに15歳段階まで無料になるということで、議会内でも喜びの声が上がっているところです。
これに要する費用は、年間約7億円となる見込みです。しかし、同じ7億があれば他にどのようなことができるのか、政治を預かる我々は、よく考えなければなりません。
中学生の医療費を無料にすれば、それで出生率が伸びるとでもいうのか。だれでも無料とするのではなく、小児救急のほか、難病者や障害児、特効薬のないアレルギーなどにお悩みの方、あるいは重労働が指摘される小児科の診療環境などに対して重点的にケアをするのが公正なあり方ではないのか。
選挙が迫っているだけに、票になる施策を追いかけたい気持ちはわかりますけれども、ここは冷静になって考え直さなければなりません。
一律無料にする前に、脆弱な医療基盤の整備を優先すべき
もちろん、無料になればだれしもうれしいに決まっています。しかし、医療基盤や生活基盤整備がいまだ十分とは言えない現状からすれば、これは小手先のやり方にすぎないのであり、限りある財源の中で、これが今求められている少子化対策として最善の方策とは到底思えないものであります。
私は、少子化対策を主眼とするのであれば、中学生に対してまで一律に医療費を無料にする必要はなく、この7億円は別の使途に用いるべきと考えます。
例えば、いまだ十分とは言えない小児科、産科の医療基盤整備、重い難病や障害児などに対するケアの拡大、安心して通える(私立に行かずに済むような)区立校の実現、保育施策の機会均等、そして、区独自に現在準備中である、いわゆる子育てバウチャー(子育て応援券)の基盤整備やその対象の拡大といった施策を優先させていくべきであると考えます。
以下、少し長くなりますが、重要なテーマでありますので、その理由を詳しく申し述べます。
施策の優先順位が違う
第一に、最大の問題は、医療費だけを無料にしても、身近に医療基盤が十分に整備され、かつ十分に機能していなければ、このような施策は全く意味がないということです。その意味で、施策の優先順位を間違っていると言わざるを得ません。
特に小児科、産科の医師は不足感が強くなってきており、社会問題化してきています。余りにも重労働である小児科や産科を積極的に希望する医学生は確実に減っているとのことですから、このような不安定な状態は今後も続くと考えられます。
しかし、このような中であっても、(1)内科ではなく専門の知見を持った小児科で診療してもらいたいという声は強いこと、(2)病児保育への対応が遅れていること、さらには、(3)人口密集地であるにもかかわらず、とくに夜間帯の小児科において医療機関を選択できなくなっている現実は、非常に重いものがあります。
救急対応難や診療現場の混雑に策はあるのか?
したがって、乳幼児医療が無料である杉並区の現在において、区が次に年間7億円をかけて新たな取り組みを行うというならば、こうした部分の課題を解決するためにこそ、有効活用しなければならないと考えるものです。
医療費無料を小中学生まで拡大したはよいものの、小児科は減る一方、診療現場は混雑、出産する場所の選択肢も年々限られていくというようなことになってしまえば、全く意味がありません。
そして、それは完全な杞憂とは言い切れなくなっています。
過労死自殺したということで話題になった小児科医、故中原利郎氏の遺言は、その壮絶さを物語っています。
故・中原医師の遺言
故中原医師は、杉並を含む区西部地域のある医療機関に勤務されていた小児科医でもありましたので、ここでその一部を紹介したいと思います。
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都内の病院で小児科の廃止が相次いでいます。…(中略)…奉職して12年が経過しましたが、この間、近隣病院小児科の縮小・廃止の話は聞きますが、中野・杉並を中心とする城西地域では新設、拡充の連絡は寡聞にして知りません。もちろん一因として世界に類を見ない早さで進展するわが国の少子高齢化をあげる事ができます。…(中略)…
わが病院も昨年までは、常勤医6名で小児科を運営して参りましたが、病院リストラのあおりをうけて、現在は、常勤4名体制で、ほぼ全日の小児科単科当直、更には月1〜2回東京都の乳幼児特殊救急事業に協力しています。
救急患者数では、小児の方が内科患者を上回っており、私のように四十路半ばの身には、月5〜6回の当直勤務はこたえます。
また、看護婦・事務職員を含めスタッフには、疲労蓄積の様子がみてとれ、これが医療ミス≠フ原因になってはと、ハラハラ毎日の業務を遂行している状態です。
本年1月には、朝日新聞に、私の大学時代の同級生の過労死≠フニュースが報じられました。(これは現場の我々には大変ショックでした。)…(中略)…
今、医療の第一線は瀕死の重態におちいっています。小児科学会としても、小児科医の1/4以上を占める女性医師が育児と仕事の両立をはかれるよう提言を行ってはいますが、わが病院でも女性医師の結婚・出産の際には、他の医師に過重な負担がかかっているのが現状です。
更に、病院の経営環境の悪化は、特に地価が高く、敷地に余裕のない都市部では、建物の更新をむずかしくして老朽化した比較的小規模の民間病院が散在しているという状況を生みだしています。…(中略)…
経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。不十分な人員と陳腐化した施設のもとで行われている、その名に値しない(その場しのぎの)救急・災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません。
--------------------(引用終)
当時、中原医師は、常勤の医師が次々と退職する中、かつ休日も思うようにとれない中、うつ病を示す症状が発症し、ついにこのような遺書を残して勤務先の屋上から身を投げたとのことであります。
享年44歳でした。小児科医は天職と公言していた医師の非業の死は、この問題の重さを実感させられるものがあります。
この貧弱な体制で、医療費だけを無料にしても・・・
医師である江原朗氏の分析によれば、100万人当たりの年間労災請求件数は、小児科医では17・8人にもなる可能性があるとのことであります。
これは全診療科の3.1人を大きく上回っているというのですが、全職種の就業者100万人・年当たりの過労死労災請求件数が7.1件であることを考えても、小児科医が激務であると指摘されているゆえんであります。しかし、それでもなお小児科や産科に対するニーズは高いものがあり、その質も高いものが求められています。
また、小児一次救急については、市町村の責任で体制整備するよう規定されていることから、区でも努力してきてはいますが、いまだ選択の余地は少なく、特に深夜については十分実施できているとは言えません。
小児科医の置かれた環境はなかなか改善の兆しが見えないところです。
小児科医療が抱えている現実
医療保険上、大人については、外科、皮膚科、耳鼻咽喉科などと専門を分けて開業されておりますけれども、小児科の場合は、例外的に子どもの体を総合的に診なければならないことが特徴となっています。
しかし、このようなオールマイティーな素養を維持し続けるのは楽ではありません。
しかも、子どもは自分の意思をはっきりと表現できない場合も多く、様態も急変しやすいため、急患も少なくありません。したがって、小児科医の労働時間は長くなる。激務なので人が去る。人が去るからさらに激務になるという悪循環が起こりやすいことがわかります。
また、検査をするにしても注射を打つにしても、大人と違って子どもは複数人の手を煩わせるわけであり、リスクもコストもかかります。
しかし、小児科は、医療報酬上余り恵まれているとは言えず、医療訴訟も増えています。これについては、昨今の法改正を受けて一定の対応はなされ、改善されてはきていますが、それでも、激務の実態から見て、今後も地域で小児科専門の医師を安定的かつ継続的に確保し続けることができるのかどうか、未知数と言わざるを得ません。
小児科学会の報告でも、一部の大学では急速な小児科志望者数の減少が認められ、女性小児科勤務医師の割合は急増して、20代では40%に達したことが報告されています。
同じ小児科学会の報告によれば、時間外診療をしている小児科医の月超過労働時間合計は平均86、7時間、時間外診療をしていない小児科医でも58、2時間とのことです。
今や小児科に占める20代女性の割合が半数近くに迫ろうとしている中、出産、子育てを抱えた女性医師が仕事を継続していくことができないのは、火を見るより明らかです。将来にわたって優秀な小児科医を安定的に確保することの難しさは歴然としています。
杉並では長きにわたって病児保育室が無整備
このような状態の中では、関連医療基盤の整備を優先させずして、医療費の無料化だけで功を奏することになるとは考えられないところであります。
杉並区においては、長きにわたる区政の無理解もあって、病児保育は未整備ですけれども、このような状態であっても、医療費だけは中学生まで無料にするというわけです。
仮に医療費だけが無料にされても、例えば病後児保育などが典型ですが、河北病院しか選択できないというのでは、お話になりません。それではあたかも河北総合病院に便宜を図っているだけなのであり、事実、病後児保育の利用者は、明らかに河北総合病院の周辺地域住民に偏りが見られるところです。
したがって、病児保育室すらまともに整備されていないような杉並区において、このようなばらまき型施策を優先実施したとして、果たしてそれが少子化対策として抜本策となるものなのか、完全に施策の優先順位を誤っていると言わざるを得ません。
中学生の医療費を無料にする前に行うべきこと
自治体の医療政策としては、中学生の医療費をすべて無料とする前に、まずはこうした小児科医に対する安定的な就労環境の整備、病児保育や病後児保育の受け皿拡大、小児救急医療体制の整備といった基盤整備を優先させるべきでありましょう。
特に、小児科を担当する医師の肉体的、精神的負担もまた極めて大きいのであって、幾ら診療報酬体系が変わったとしても、今後も地域で優秀な人材を安定的に確保することは難しいと言わざるを得ないと思われます。
事実、土日や夜間帯に気軽に診療を受けられる場所が一体区内に何カ所あるというのか。夜遅くまで歯科診療を行っている診療機関の数に比べ、そのありようには格差があり、ニーズに全く対応できていないことは明白であります。
毎年7億円もの巨費があれば、これらの問題について、より積極的に改善を図ることも不可能でないにもかかわらず、これを放置して医療費の無料化を中学生まで拡大しても、この問題を抜本的に改善できるとは思えません。
家計に対する経済的支援は、別の方法で実現を
第二に、家計に対する経済的支援が必要というのであれば、幼稚園や保育園など、サービスの利用状況による格差の方こそ問題にしなければなりません。
例えば、いわゆる認可保育園に入園できた利用者と、それ以外の無認可あるいは認証保育所の利用者に対する公的給付には大きな差があり、受けているサービスも明らかに違いがあります。
現実問題として、認可保育園に入れない場合に、それ以外の施設に入るしかないという状態にあることは間違いないわけですが、そうなれば、保育料が高いにもかかわらず、面積も狭ければ園庭もないというように、極めて窮屈な思いをさせられることになります。
ほとんど同じ境遇にある子どもでありながら、サービス内容に見合った負担となっていないことなどにつきましては、まことにアンフェアであると言わざるを得ません。
充実すべき子育てバウチャー(子育て応援券)
また、厚生労働省における試算においても、認可保育所を利用する世帯への公的給付平均月額は、二歳児までが9万6800円であり、利用していない家庭への給付は5600円となっており、実にここには17倍の格差があることが指摘され、問題視されてきています。このような格差こそ是正しなければなりません。
仮に直接的な経済支援を考えるにしても、少子化対策という意味では、健康な中学生まで一律に医療費を無料にするといったやり方をするのではなく、子育てにかかわるサービスの基盤を整備し、そのサービスを各家庭の方針や事情に合わせて利用できるようにすることの方が間違いなく効果があると考えます。
したがって、中学生の医療費をすべて無料にすることに予算を割くのではなくて、むしろ今杉並区で独自に検討が進められている子育てバウチャーの利用対象範囲や額を拡充することの方が、政策選択としてははるかに適切と考えるものです。
無料化は、より切実に医療を必要としている人のために
以上のように、特に中学生の医療費無料化は少子化対策として最適かどうか極めて疑わしく、経済支援策としても別の方策をとるべきであると考えますので、本議案には反対をするものであります。
何より今回のことで、より切実に医療を必要としている人が後回しにされる可能性がないと言えるのか。我々は東京都が美濃部都知事時代におかしくなっていったことを思い出さなければなりません。
もちろん、乳幼児や難病者に対しては、医療費のみならず手厚いケアを行うべきですが、中学生の医療費のすべてを完全無料にすることはないというべきであります。
たとえば、公序良俗に反するような中学生同士のけんかによるけがを原因とする治療費まで、税金で全額面倒を見る必要があると言えるのかどうか。
一方で、保育や小児科医療環境が充足していない現実がありながら、そこを改善せず、もし公序良俗に反する行為に対して税金から重ねて治療費を給付するというようなことがあれば、納得できるものではありません。
体が大きくなり、相応に自己管理ができるようになってきている中学生に対しては、一部の難病入院、低所得者を除き、1〜2割程度は負担を求めるべきであると考えます。その上で、どこまでを今後無料にすべきなのか、本当にすべて無料とすることが必要なのか、冷静に考えていくことが必要であると考えます。
同じ7億があれば、例えば中学校、小学校にもっと予算をかけ、教育活動を充実することもできます。あるいは認可保育園を増やしたり、病児保育室を整備したり、児童虐待やいじめ対策のために多くの予算を割くこともできます。高齢者や障害者への対応もまた同様であります。
財源は有限なのであって、多額の税金で永続的に小中学生の医療費を無料化することが、結果的に他の事業に回す予算を奪い取る結果を引き起こすという側面があることについても、我々は冷静に直視しなければなりません。
杉並区は「少子化対策の強化の一環」と説明しているが・・・
杉並区としては、人口52万という大都市にふさわしい医療環境を整えていく責務があると考えますが、今回の区の政策選択は、少子化対策としても医療政策としても、区の抱えている政策課題及び実情に適切に対応するものとは言えず、施策の優先順位を誤っていると言わざるを得ないものです。
むしろ行政は、公共空間において、子育てをしている人に肩身の狭い思いをさせないような職場や地域の環境づくりを促進していく役割を担うことを優先させるべきであり、予定されている7億円はこちらに注力すべきものと考えます。
具体的には、地域における小児科・産科医療基盤整備とともに、準備中の子育てバウチャーを推進することが今後極めて重要と考えますが、問題はそのメニューと質にかかっており、貴重な7億がこちらに投資されないことは非常に残念であります。 |