杉並区議会議員(無所属)堀部やすし最前線



議員在職10年を迎えて

 2009年(平成21年)は、世界同時不況が荒れ狂う幕開けとなりました。

 経済のグローバル化が進み、改めて「世界は一つ」と実感します。

 現状から学ぶべきことは、日本も産業構造を転換させることが不可避ということであり、低金利・円安に依存した経済成長に限界があるという点だろうと思います。ワークシェアリングについても、そろそろ本格的な導入を検討しなければなりません。

 問題は、残された時間が長くないということです。日本の高齢化・人口減少は世界に例をみないスピードで進行していきます。一刻も早く対応することが必要です。


◆ 格差は今に始まった問題ではない


 私は幼少期に、父と死別し、母子家庭に育ちました。

 父の死はあまりにも突然のことでした。弟が離乳期を抜け出したに過ぎない頃で、我が家の生活はその日から一変しました。

 多くの人は近年の小泉改革によって格差が拡大したと言います。しかし、昔から一定の経済格差は厳然と存在し、立ちはだかっていました。むしろ、スタンダードでない家庭の経済状態は、今日以上に厳しいものがあったと言えます。

 当時は、母子家庭そのものが非常に珍しい存在でした。地方育ちということもあるかもしれませんが、小学校時代でいえば、クラスに1人いたかどうかという感じだったと記憶しています。

 当然、今日とは異なり、ひとり親家庭向け独自の行政計画など存在していませんでした。そのような中、父の死によって、いわば終身雇用体系の枠から突然に放り出されてしまった我が家は、間違いなく底辺の階層に属していました。

 1970年代のことですから、戦中戦後のような飢餓を味わうということはありませんでしたが、さまざまな意味で、何度も悔しい思いをしたものです。進学ひとつとっても楽なことではありませんでした。(もちろん、それをバネに強くなったことも事実です)

 しかし、その後、ひとり親家庭は激増し、こうした世帯は必ずしも圧倒的少数(マイノリティ)とは言えない存在になっていきました。

 その結果、表面的な福祉水準だけをみれば、当時より、むしろ今日のほうが充実するようになっています。「数は力」なのでしょう。


◆ だが、「教育格差」は確実に拡大している


 しかし、当時とは決定的に異なることがあります。

 当時は、まだ公立校(公教育)が高く信頼されており、一定の役割を果たしていた時代だったのです。

 もちろん、当時も、家庭環境の差は教育格差を生んでおり、不利がなかったわけではありません。しかし、懸命に努力すれば、一定程度それを乗り越えていくことは可能でした。

 ところが、今日、そのハードルは高さを増し、一段と厳しさを強めています。その一方で、求人市場において求められる内容は高度化しています。

 藤原和博氏(前杉並区立和田中学校長)は、「彼らがどんなに大変な環境にいるかをぼやかしたくないので、僕は『ひとり親家庭』というような生易しい言い方を好みません」と述べ、あえて「欠損家庭」という表現を使っています。

 表現は過激ですが、その指摘は的確であり、無視できない現実というべきです。

 いま最も深刻な問題は、このような子どもの自助努力ではどうにもならない家庭格差・教育格差の拡大です。たとえば、今日では「親がパソコンに理解がない」というだけで、当時とは比較にならないハンデを背負うことになるのです。

 しかし、「選択の自由」が保障されていない子どもに「自己責任」を問うことはできません。これは子どもの将来を奪うという意味で非常に深刻な問題です。

 自由主義社会においては、「結果の平等」を過度に追求しない代わりに「機会の平等」はしっかり確保することを大前提としなければなりません。

 もちろん、これは学齢期に固有の問題と考えるべきでなく、失業者等の再教育システムを含めた全国民的課題と考えなければならないでしょう。

 今年はその真価が問われる年になると考えます。単なる政権争いのような政争にかまけている場合ではありません。


◆ 危機の時代こそ必要な教育投資を


 このように自助努力の前提には「機会の平等」が確保されて然るべきなのですが、実際には各自が受ける教育上の格差は拡大しており、既にそれは個人の自助努力でカバーできる水準を超えつつあります。

 そうでなくとも、日本の公的債務は拡大する一方で、日本人として生まれた赤子は、生まれながらに史上空前の債務を背負わされています。

 同一価値労働に対する同一賃金の原則は実現しておらず、公的年金も、未納者続出によって制度は崩壊寸前です(既に他で書いていますが、議員年金等は廃止、年金一元化・二階建方式による制度設計の見直しが急務です)。

 その結果、少なくない人々が未来に希望を持たなくなり、社会全体が刹那的に流されるようになっています。

 しかし、本来、多くの日本人は、努力を厭うような性質を持っているというわけではないでしょう。また、自分の問題をすべて国で解決してほしいと考えているわけでもないはずです。

 これ以上、弥縫策(びほうさく)を繰り返すべきではありません。安定した政権の下で、一刻も早く政策転換に着手する必要があります。そして、これはマスコミが煽り立てているような単なる「政権」選択の問題ではなく、あくまで「政策」選択の問題でなければなりません。

 このまま若年層にまで拡がる「潜在的な生活保護予備軍」を放置すれば、絶望感から努力を放棄する新日本人が激増し、取り返しのつかない事態を招きかねません。


◆ 台頭する「理念なきポピュリズム」を超えて


 さて、昨年の新語・流行語大賞では、「蟹工船」がトップテンに選ばれました。

 この数年、「格差社会」「ネットカフェ難民」と、連続して重い言葉が選ばれてきましたが、ついには「蟹工船」なのです。厳しさが現れているといえばそれまでですが、社会が非常に危ない方向に向かっていることを示しているように感じます。

 このまま無策を続ければ、刹那的なムードに乗じて、非現実的な政策を掲げる極左革命主義者や偏狭な国粋主義者が台頭し、影響力を強めてくるかもしれません。

 「蟹工船」のような書物が80年の時を経て再びベストセラーに登場してきたという事実は、それだけ「格差」に絶望しつつある層が、社会に一団の固まりとなって表れてきていると考えるべきです。

 技能習得のチャンスが得られないまま一方的に就職・就業の道を閉ざされ、希望の芽が摘まれてしまうなら、極端な考え方に走ってしまう人は、今後ますます増えていくことでしょう。

 東京都内で実施している就職チャレンジ支援事業をはじめとした生活安定化総合対策をよりいっそう拡充する方向で、全国的に対応を強化する必要があります。

 これに対し、国は、定額給付金のばらまきに象徴されるように、無党派層や政治無関心層の歓心を買うことばかり優先しようとしています。

 しかし、実際には、バラマキを提案したことによって、多くの有権者の顰蹙(ひんしゅく)を買い、逆に政治不信の拡大と支持率の低下を招いてしまいました。

 皮肉なものです。成熟社会においては、画一的なバラマキ政策が高い効果を出すことはないということを自覚しなければなりません。

 日本は、これまで繊維危機、造船危機、エネルギー革命(炭坑閉鎖)、石油危機、プラザ合意後の円高危機と、危機をバネに、幾多の困難を乗り越えてきました。しかし、かつてない財政難と高齢化が進行する中、理念なきバラマキを続けるのでは今度こそ終わってしまいます。

 保育、介護、医療などを求め、行き場を失っている区民のみなさんも大勢出ています。一刻も早くバラマキ政策と決別し、メリハリのある財政政策に転換することが必要と考えます。


 今年は、私にとって初当選から10年という節目の年にあたります。

 区政が大きく変化したこの10年間、議員として貴重な経験をさせていただきました。任期は残り約2年ですが、社会の変化が激しい今日、この間にさらなる激動が待ち受けているかもしれません。心して臨むとともに、今後も自己研鑽に励み、新たな課題に対応していきたいと考えています。

 なお、議長会が一定の在職期間に到達した議員全員を対象に行っている永年議員表彰(10年)については、丁重にご辞退申し上げました。


杉並区議会議員(無所属) 堀部やすし


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